「民俗学者 柳田國男と有馬頼寧(ありまよりやす)」
2回に分けて「汐入地区と競馬の祭典・有馬記念との関わり」をお話しします。
今から約100年前、大正の初めに当時の「汐入村」を対象にして、東京で初めて民俗学という視点で学術調査が行われました。
「汐入」の地名が世に出たのは、調査結果の報告を行った「郷土会」の席上においてであると言われています。
この「郷土会」を主催していたのが、日本における民俗学の開拓者と言われている柳田國男(1875~1962)です。
柳田は東京大学で農政学を学び、農商務省官僚となり、地方の公演旅行などでその土地の実情にふれるうちに、次第に民俗的なものへの関心を深めていくことになります。
そして、私たちも聞いたことがある、東北地方の伝承を記録した、柳田民俗学の出発点となる「遠野物語」等を刊行します。
さて、大正4年5月12日に行われた34回郷土会の席上において、「汐入村の変遷」というタイトルで、明治期から大正にかけての汐入の風習等を調査し、報告したのが郷土会会員であった有馬頼寧(ありまよりやす)(1884~1957)です。
次回は、有馬頼寧の人物像、競馬・有馬記念との関わり、有馬が調べた「汐入村」についての報告についてお話しさせていただきます。
※本欄に書いた「柳田國男」と現在の作家「柳田邦男」は別人物です。
↓柳田國男
↓有馬頼寧(ありまよりやす)
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