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有馬記念と汐入の深い縁_後半

「久留米藩 有馬頼寧(ありまよりやす)の功績」



有馬頼寧は、福岡県久留米藩主の子として生まれ、農政に携わります。

その後に衆議院議員・農林学者・農林大臣となり、日本中央競馬会理事長に就任し、競馬の発展や大衆化に尽力します。

昭和31年に中央競馬のオールスター戦を発案、「中山グランプリ」として創設しますが、それから程なく逝去します。

彼の功績を称え「有馬記念」と改称され、今日の年末の国民行事にいたります。

有馬はこの間、夜間中学を設立するなど慈善事業にも奔走しました。




汐入周辺はホタルの名所


有馬は幼少の頃、台東区橋場に住んでいたことから、汐入との関わりを持ち始めます。

汐入村でのホタル狩りを報告していますが、当時の汐入周辺は湿地の多い場所で、ホタルの名所としても知られています。

有馬の調査した東京で最初の民俗学「汐入村の変遷」は、江戸から明治期における、汐入から南千住地域の発展の過程を、1期ー4期に分け、発表しています。


1期目は、明治10年の千住製絨所の設置により、衰退していく町に多くの雇用を生み出したこと(場所は南千住6丁目のスポーツセンター・警察一帯)。

2期目は、明治20年の火葬場の廃止で、現在の南千住駅から第二瑞光小学校一帯に在った火葬場を日暮里に異動させ、刑場も土地を清め、宅地化に成功させたこと。

3期目は、明治27・28年の隅田川貨物駅と常磐線の開設で、これにより、ますます人の往来が多くなったこと。

4期目は、明治39年の大日本紡績【ニチボウ】と東京毛織工場【カネボウ】の設置で、この工場の稼働により、3,000人の職工が働き現在の【汐入のけやき・とちのき通り一帯】、合わせて汐入の渡し場も開設したこと等を報告しています。

※詳細は南千住図書館で資料等をご覧ください。

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